大人よりも大人な少女のひとこと
- taketomi
- 2月26日
- 読了時間: 4分
小学4年生のある言葉が皆の心に刺さった。
「自分の人生なのに他人は関係ないやろ」
今週、中学3年生は最後の三者面談がありますね。
そこでどこの公立高校を受けるか最終決定をするようです。
「受けたいけど自信がない。」
「受かると思うけどやっぱりちょっと不安。」
「迷いはない!」
いろいろな気持ちがぶつかると思います。
三者面談。自分と親と担任の先生。
最終決定をするのは誰か。
おもしろいことに「自分」ではないんですね。
学校の先生の判断で「受けていいよ」「志望校落とそうか」なんて話になるそうです。
本人がいくら「受かる自身」「落ちる覚悟」があってもダメなんです。
いや、子どもはその強い気持ちがあっても
大人たちの言うことには逆らえず、心の奥に閉まっておくでしょう。
いかにも「先生(お母さん)の言うことに納得です^^」と笑顔でこたえても・・・・
こうやって子供に『他人の物差しで生きること』を教えている。
塾に来ていた中学生がそんな話題をしていると、
小学4年生の女の子がひとこと。
「え、なんで学校の先生が決めるの?
自分の人生なのに他人は関係ないやろ」
この瞬間みんな笑顔。
「ほんとにそう!」
大人より大人な小学生の発言にみんな感動。
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他人に自分の人生を決められた子はどうなると思いますか?
幸せになると思いますか?
「あの時決めてくれてありがとう」と感謝すると思いますか?
正直、良くなるか悪くなるかはわかりません。
しかし、
『未練』は必ず残るでしょう。
その『未練』はもう取り戻せない。
取り戻せなくなった『未練』はいづれ『恨み』に変わるでしょう。
「なんであの時私の意見を聞いてくれなかったの?」
「ほんとはこうしたかったのに、○○のせいで私の人生はおかしくなった」
「お母さんだけでも私の味方でいてほしかった」
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昔、「工業高校に行きます!」と何も知らない中学生の私に塾の先生は言ってくれました。
「いいのかい?周りは勉強しないし、目指すところが違うからしんどい思いをするかもしれないよ?」
そんな忠告をしつつもしっかり私の意見を尊重してくれました。
そして、工業高校生になった私、
「先生!周りは遊んでばかりで、大学に行きたい自分は浮いている!」
「だから言ったやん!(笑)」
振り返ると高校選択は判断ミスでしたね。(もちろん楽しかったし得られたこともありますが)
しかし後悔・未練はない。
そしてその判断ミスの責任は自分でとる!
それからというもの、頭の中は常に「勉強」。
「勉強ばっかいしてたらバカになるよ!」なんてことも言われましたね。
今でも勉強が好きです。
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『自分の人生なのに他人は関係ない』
ほんとにそうですね。
子どもの進路を勝手に先生が決める。
それも、当てにならない過去のテストの結果とそれによる子供のイメージで。
じゃあ大人はそれに対して責任を取るのか?
取るわけない。取れるわけない。
「あんたがもっと勉強しなかったからでしょ!」
そういう話じゃないんです。
『自分で決断し自分で責任を取る』
その成長の瞬間を大人がもぎ取る。
もぎ取られた子は卑屈になり、大人になっても誰かのせいにして生きる。
『自分で決断し自分で責任を取る』
勉強や良い学校に行くことよりも、
大切なことだと私は思います。
※写真はこれを書いている時にたまたま目に入った本のたまたま開いたページ

